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○オランダ事情

1.概況
(1) オランダ(Holland森と大地の意)に最初に住みついたのはケルト人とゲルマン人であるといわれ、紀元前50年頃にローマの属州になった。
15世紀末にはスペイン王力一ル5世の支配下に入った。力一ル5世の後を継いだスペイン王フェリベ2世のカトリック政策は反感をかい、1568年にオランダ80年戦争がぼっ発する。
長い戦争の後にオランダはスペインを駆逐して、1648年北部7州を統合し連邦共和国として独立を達成した。
政治的に安定を得たオランダは、17世紀に入ると経済および文化も繁栄し黄金時代を迎える。東インド会杜が設立され海洋国オランダの発展が始まる。
しかし、17世紀末には植民地戦争が始まり、オランダはアメリカ大陸の植民地を失?次いでフランス革命がぼっ発し、オランダは革命軍に占領され、一時バタビア共和国となる。ついでナポレオンの弟ルイがオランダ王となるが、ナポレオンの失脚とともに1815年、ネーデルランド王国として独立した。
第一次大戦中は中立を守った。戦後国際連盟に加入、国際司法裁半一」所を設置するなど国際政治に協力した。第二次大戦にも中立をめざしたがドイツに占領され、王室と政府はイギリスに亡命した。
(2) 国土はドイツ、ベルギー、海を隔ててイギリスに囲まれた、九州よりやや小さい国である。北海に面した国土はライン河、マース河、スヘルデ河のデルタ地帯を中心に低地が広がっている。ユトレヒトを境にして、北東には国土の40%も占める海面下の土地が続き、南西は丘陵地帯になっているが、最高地点で321mしかなく全体的に平坦である。
気侯は、北緯52度前後と高緯度であるが、メキシコ湾暖流と偏西風の影響で海洋性で穏やかである。南東部の丘陵地帯は大陸性気侯の影響を受け厳しい。
(3) 総人口は約1,513万人で、人口密度は1km2当たり約370人で高い。アムステルダムは人口約70万人、ロッテルダムは約58万人で、人口は国の西側に集中している。国民の大半がゲルマン系である。
国民の約40%が力トリックで、プロテスタントとオランダ改革教会派はあわせて約40%、そのほかはユダヤ教徒などで無信仰者も多く宗教に関して比較的自由な国である。
学制は6年間の初等教育、4,5,6年のコースがある中等教育、高等教育から成り、6歳から10年間は義務教育である。義務教育終了後は高等職業訓練学校と大学がある。
2.政治
(1) 1814年に制定された憲法による立憲君主制の形態をとり、政情は極めて安定している。議会制民主主義に基づき立法権は国王と議会に、行政権は国王及び内閣にある。

 

 

 

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